戦国時代の激動(1538年~1547年)

戦国年表

この10年間は、戦国大名たちが本格的に勢力をぶつけ合い、各地で戦乱が激化した時期です。第一次国府台合戦、第一次川中島の戦い、織田信秀・今川義元・武田信虎の抗争など、次世代の戦国の覇者たちが動き出す前兆とも言える重要な時代です。

このブログは、個人が趣味で作成し、AIを活用して調べた情報をまとめたものです。歴史の出来事には諸説あるため、その点をご理解のうえ、お楽しみください。


年表(1538年~1547年)

幕府・中央畿内・西国の大名関東・東国の大名九州・四国・東北の動き
1538年足利義晴が京都で権威を維持三好長慶、畿内で影響力拡大第一次国府台合戦:北条氏綱が里見義堯に勝利大友義鑑、肥前へ進出
1539年幕府と三好政権が共存細川晴元と三好長慶が連携強化武田信虎が信濃北部へ侵攻開始長宗我部国親が阿波へ影響力拡大
1540年幕府の権威は限定的吉田郡山城の戦い:毛利元就が尼子軍を撃退北条氏康が家督を継ぐ(氏綱の引退)島津忠良、日向進出を本格化
1541年義晴が近江へ退去武田信玄が父・信虎を追放し家督継承今川義元、三河への進出を開始伊達晴宗が稙宗から実権を奪取(天文の乱)
1542年幕府、京都復帰を模索今川義元が織田信秀と対立(小豆坂の戦い)北条氏康、関東で攻勢を強める大友義鑑と義鎮(宗麟)間に緊張高まる
1543年鉄砲伝来(種子島)畿内情勢は小康状態武田信玄、信濃掌握を進める天文の乱が継続、伊達家が分裂状態
1544年幕府の実権低下三好長慶、細川氏から独立色強める今川・北条・武田が三国同盟を模索長宗我部氏、内政強化を推進
1545年幕府は名目上の存在武田信玄が村上義清と対峙今川義元、駿遠の支配を固める大友義鑑、豊後支配に苦戦
1546年義晴、足利義藤(後の義輝)に将軍位を譲る三好政権が京都支配を強化北条氏康、武蔵国を掌握島津氏が薩摩・日向の統一に近づく
1547年足利義輝が13代将軍に就任三好長慶が京で台頭第一次川中島の戦い:武田信玄 vs 村上義清伊達晴宗が南奥の支配を強化

主な動向(1538年~1547年)

✅ 織田・今川・武田の争いが本格化

この時期、今川義元が三河へ進出し、織田信秀と激突(小豆坂の戦い)。武田信虎を追放した武田信玄は、信濃へ勢力を伸ばし始め、1547年には第一次川中島の戦いが勃発します。

✅ 北条氏康の本格登場

北条氏康が氏綱の跡を継ぎ、第一次国府台合戦(1538年)で里見氏に勝利。その後、関東各地で支配を拡大し、戦国関東の主導権を握ります。

✅ 毛利元就の活躍

**吉田郡山城の戦い(1540年)**で尼子晴久の大軍を撃退し、安芸国内での地盤を固めます。これにより中国地方の戦国大名としての地位を確立。

✅ 畿内と三好政権の台頭

細川晴元と三好長慶の協力体制から、三好政権が京都を実効支配するようになり、足利将軍家は名目的な存在に。1546年には足利義晴が義藤(後の義輝)に将軍職を譲ります

✅ 九州・東北の動乱

  • 九州では、大友義鑑と息子・義鎮(のちの大友宗麟)との対立が表面化。
  • 東北では伊達稙宗と晴宗の間で「天文の乱」が続き、伊達家の分裂状態が深刻化。

まとめ

この10年間は、戦国の大名たちが実力で地域を支配し始めた「本格的な戦国時代」の幕開けとも言える時期です。

  • 武田信玄の登場、今川・織田の争い
  • 北条氏康や毛利元就の本格台頭
  • 三好政権による畿内支配の確立
  • 鉄砲伝来(1543年)という軍事革命の始まり

次回は、1548年~1557年の動乱と、戦国時代の頂上決戦へ向かう道を追っていきます!