戦国時代の進展(1488年~1497年)

戦国年表

1478年から始まった戦国時代の混乱は、1488年以降さらに加速しました。この10年間では、地方での戦乱が激化し、戦国大名たちの権力争いが本格化します。特に加賀一向一揆の発生や、細川政元による幕政の掌握など、戦国時代を象徴する動きが見られました。

このブログは、個人が趣味で作成し、AIを活用して調べた情報をまとめたものです。歴史の出来事には諸説あるため、その点をご理解のうえ、お楽しみください。


1488年~1497年の背景

  • 幕府の混乱:足利義尚が六角氏討伐中に病死し、将軍家の統治力がさらに低下。
  • 一向宗の台頭:加賀で一向一揆が発生し、守護大名・富樫政親が討たれる。
  • 細川政元の権力掌握:管領細川政元が幕府の実権を掌握し、将軍の権威を形骸化させる。
  • 地方大名の勢力争い:北条早雲が駿河・伊豆で勢力を拡大し、戦国大名としての地位を確立。
  • 九州・四国・東北の動乱:島津氏、大友氏、長宗我部氏、伊達氏などの地域勢力が独立性を強める。

年表(1488年~1497年)

幕府・将軍家畿内・西国の大名関東・東国の大名九州・四国・東北の動き
1488年足利義尚が病死加賀一向一揆勃発、富樫政親討たれる北条早雲が伊豆へ進出九州で大友氏と島津氏が対立
1490年足利義材(のちの義稙)が10代将軍に就任細川政元が幕政を掌握武田信縄、甲斐国内の統治を強化四国で長宗我部氏が台頭
1491年細川政元、守護大名を統制大内義興が中国地方で影響力を拡大北条早雲、伊豆を完全に掌握伊達氏、東北地方で勢力を拡大
1493年明応の政変、細川政元が足利義材を追放し、足利義澄を擁立細川氏が幕府の実権を掌握今川氏親、駿河の支配を確立島津氏、薩摩で勢力を強める
1495年北条早雲、小田原城を奪取細川政元、中央政権の強化を進める関東で古河公方と関東管領の争い続く東北で伊達稙宗が勢力を広げる
1497年足利義澄、将軍としての権力を確立できず細川政元の専制体制が強まる伊勢新九郎(北条早雲)が関東進出を計画九州で少弐氏が衰退、大友氏が台頭

1488年~1497年の動向

加賀一向一揆の勃発(1488年)

加賀国では、一向宗の信徒が団結し、守護大名・富樫政親を討伐しました。この結果、加賀は一向宗による支配が確立され、「百姓の持ちたる国」と呼ばれる状態が生まれます。

明応の政変(1493年)

細川政元は、10代将軍・足利義材(のちの義稙)を追放し、足利義澄を新たな将軍として擁立しました。この「明応の政変」により、幕府の実権は完全に細川氏に握られ、将軍の権威は形骸化しました。

北条早雲の台頭

関東では、北条早雲(伊勢新九郎)が勢力を拡大し、1495年には小田原城を奪取。これにより、関東地方における戦国大名としての地位を確立しました。

九州・四国・東北の動き

  • 九州:大友氏と島津氏が対立し、薩摩で島津氏が勢力を拡大。一方、少弐氏が衰退し、大友氏が台頭する。
  • 四国:長宗我部氏が勢力を拡大し、土佐を中心に影響力を強める。
  • 東北:伊達氏が勢力を広げ、伊達稙宗の時代に東北地方での影響力を強める。

まとめ

1488年から1497年にかけて、幕府の統制は完全に崩れ、地方の戦国大名が次々と台頭する時代へと移行しました。特に、加賀一向一揆、明応の政変、北条早雲の台頭といった出来事に加え、九州・四国・東北の大名たちの独立性が強まり、日本全体が本格的な戦国時代に突入していきます。

この頃、九州や四国、東北はどうなっていたのかさらに調べてみました。長曾我部や島津等後に活躍するお家もこの頃から台頭し始めていました。一旦戦国時代の終わりまで流れを追い終わったら少し遡ってどの辺で各地方がどうなったのか調べてみようかな。

最終的には全ての出来事を一覧表にできたらいいなと思っています。

次回は、1498年以降の戦国大名たちの動向について掘り下げていきます!