応仁の乱(1467~1477年)が終結し、室町幕府の権威はさらに低下しました。戦乱の影響で中央の統制が弱まり、地方の戦国大名たちが独自の動きを見せ始める時期となります。
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1478年~1487年の背景
この10年間では、室町幕府9代将軍・足利義尚が本格的に政務を担当し始めます。しかし、彼の統治能力は低く、幕府の威信回復には至りませんでした。一方で、畠山家や六角氏との争いが続き、将軍権力の低迷が鮮明になります。
地方では戦国大名たちが台頭し始め、関東では足利成氏と関東管領・上杉顕定の対立が続くほか、**伊勢新九郎(後の北条早雲)**が勢力を広げ始めるなど、戦国時代の幕開けを象徴する動きが見られました。
年表(1478年~1487年)
| 年 | 幕府・将軍家 | 畿内・西国の大名 | 関東・東国の大名 |
|---|---|---|---|
| 1478年 | 足利義尚が正式に政務を担当 | 細川政元が幕政に影響力を持つ | 古河公方・足利成氏と関東管領・上杉顕定の対立が継続 |
| 1480年 | 幕府の権威がさらに低下 | 赤松政則、山名氏と対立 | 伊勢新九郎(後の北条早雲)が駿河で勢力を拡大 |
| 1483年 | 足利義政が隠居し、義尚が正式に将軍へ | 畠山政長と畠山義就の争いが再燃 | 上杉顕定、関東で古河公方と交戦 |
| 1485年 | 畠山家の内乱が激化 | 京で民衆が「山城の国一揆」を決行 | 甲斐の武田信縄、国内統治を強化 |
| 1487年 | 足利義尚、六角高頼討伐を開始(長享の乱の始まり) | 六角氏、幕府軍と交戦 | 関東では足利成氏と上杉家の戦いが続く |
1478年~1487年の動向
幕府の低迷と足利義尚の動き
応仁の乱が終結したものの、幕府の権威は回復せず、義尚は将軍としての求心力を得られませんでした。1487年には六角高頼討伐(長享の乱)を開始し、武力での統制を試みましたが、大きな成果を挙げることはできませんでした。
畿内・西国の戦国大名の台頭
京都周辺では、1485年に「山城の国一揆」が発生。これは畠山政長と畠山義就の争いに対する反発から生じたもので、民衆が武士の支配を排除しようとする動きの一つでした。また、細川政元が幕政に影響力を持ち、赤松政則や山名氏などが勢力争いを続けました。
関東・東国の動き
関東では、引き続き足利成氏(古河公方)と関東管領・上杉顕定の対立が続いていました。一方で、伊勢新九郎(後の北条早雲)が駿河で勢力を拡大し、後の関東支配に向けた動きを見せ始めます。また、甲斐では武田信縄が国内統治を進め、武田家の基盤を固めました。
まとめ
この10年間は、応仁の乱によって混乱した幕府の権威がさらに低迷し、地方の戦国大名たちが台頭する時代でした。特に、山城の国一揆、関東の戦乱、伊勢新九郎(北条早雲)の動きなど、戦国時代の本格的な始まりを示す重要な出来事が起こっています。
北条早雲が出てきました。戦国時代といえばの織田信長を考えるとかなり早い登場ですね。
次回は、1488年以降の戦国大名たちの動向について掘り下げていきます!


